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吉田真里子は生牡蠣の夢を見るか?〜ブレードランナー私的論/その2

(前の記事より続く)

 様々な出来事、経緯を経て、ラストで漸く理解し合うデッカードとレイチェルー。

 では、デッカードと他の者との関連は?

 ②〜⑥、⑪〜⑳、㉖〜㉚と、主役なのだから当然の事だがデッカードが会話を
交わすシーンは多い。ガフ、ブライアン署長、レイチェル、タイレル社長、鱗を
調べる老婆、複製蛇職人、タフィー・ルイス、寿司屋の親父、酒屋の女主人、ゾ
ラ、レオン、そしてロイ・バッティー。10人以上と言葉を交わすデッカードは、
しかしその殆どと同一画面にすら登場せず、例え同じ場面に現れたとしてもそれ
はストーリーの展開上、演出上「止むを得ず」の処置に過ぎないのだ。レオンと
は出会いしなに格闘に移行するし、ゾラとのシーンでは楽屋の中を頻繁に歩き回
る彼女に合わせてカメラが移動する際に「たまたま」ゾラとデッカードとを同一
のファインダーに捉えたに過ぎないのである。また、ゾラに話しかけるデッカー
ドのセリフは即興にしてもとても腕利きの刑事とは思えない稚拙で突飛なもので
あり、コミュニケート(あるいはゾラがレプリカントにまちがいないか探りを入
れる為の)を前提としたものでは無い事は明らかである。

 
人間同士、あるいはレプリカントと人間とが互いを信頼していないのと比して
レプリカント同士は⑦、㉒に見られるようにはっきりと互いの顔を見て会話を交
わしている。同じ人造人間として、同じ「地獄」を体験した者同士として、或い
はまた人間以上の能力を有する生物としてレプリカントは人間より親密なるシン
パシーを得られたのかもしれない。

 もっと正確に言うならば、地球に逃げて来たレプリカントのリーダー格である
ロイ・バッティが、である。脱走して来たレプリカントはロイ・バッティ、レオ
ン、ゾラ、そしてプリスの四人。この内、レプリカント同士で会話をするシーン
は前述の⑦、㉒の2シーンのみ。ロイとレオン、ロイとプリスの組み合わせであ
る。レオンは①、⑦、⑲において、プリスは⑩、㉑、㉒、㉓、㉗においてそれぞ
れ言葉を交わす。だが、レオンもプリスも、ロイ以外のレプリカントとは会わな
い。
 この辺り、ロイ・バッティを軸にした物語展開という側面に関わってくるので
多くは述べないが、少なくともロイ・バッティはレオンを仲間として、プリスを
恋人として、確かな信頼感を抱いているという事は言えるだろう。

 そして、人間に対してはやはり彼らレプリカントもまた隔絶の意識を露わにす
るのである。セバスチャンに対しては一見ロイとプリスは親愛な感情を持ってい
るかのように振舞うが、勿論それは「タイレル社に侵入するために仕方なく行な
っている行動」に過ぎない。

 セバスチャンと視線を交わした後に、突如冷徹な表情に戻ってしまう彼らの顔
がそれを証明している。

 (⑩において、セバスチャンが暗闇を背景にして位置するのに対し、プリスの
後方にはライトらしき緑色の光が、あたかも彼女が潜在させている獣性を暗示す
るかのように、猫の目のように輝いている。)

 或いは、ロイはセバスチャンに対して、おそらく人口眼球職人の所から持って
来た物か、それともセバスチャンが造った「玩具」の物か、いずれにしろ自分自
身の物ではない「作り物」の眼球を眼差しとして示すのである。

 その法則はクライマックスにおいても同様である。㉘、死にゆくロイ・バッティ
とデッカードー。このシーンに関しては後にまた別の視点から細かく分析するが
やはりロイとデッカードは殆ど同じ画面には収まらない。
死の瞬間においてさえも、である。ロイはデッカードを「救済」したが、お互い
に「理解」を成した訳ではないのだ。


彼らと彼女の物語

 
 では、「出会い〜邂逅」と物語の関係について記す事にしよう。「ブレード
ランナー」はまたデッカードとロイ・バッティ、二人の男の彷徨が主軸となって
展開する物語であるとも言える。

 デッカードはレプリカントを探し、ロイは自らを救済する方法を求め、それ
ぞれ2019年のLAの街を疾走する。彼らを軸として物語は展開していくの
だ。デッカードは前述の如く10人以上の他者と出会い、関わりを持って行く。

 ロイもまた、レオン、眼球製造職人、プリス、セバスチャン、タイレル社長、
そしてデッカードと、6人の他者或いは仲間と関わりを持つ。

 比して、他の登場人物はどうか。

 ガフは、ブライアンとデッカードの二人のみ、同じくブライアンもガフと
デッカードだけ。彼らは景観である故に警察の領域より出ようとしないからだ。
J.F.セバスチャンはプリス、ロイ、タイレル社長の三人。タイレル社長はデッカ
ード、レイチェル、セバスチャン、ロイの四人と、比較的多い印象を受けるが
その内レイチェルにはタイレル社内で言葉をかけるだけ、彼女は、社長の言葉
に服従はするが応答・返答は全くしていない。またセバスチャンに対しても、
彼はチェスの手を呟くのみである。そして残り二人、デッカードとロイに対して
は「レプリカントのパフォーマンスについて」の説明をしているだけなのだ。
下僕への命令、ゲームの指示、それに機械の性能に関する説明ー。無駄な言葉
の一切無い簡潔明瞭なる言葉。其処には哲学もエントロピーも一切存在しない。
とても「会話」とは呼べない代物である。

 そして、ヒロインであるレイチェルはタイレル社長とデッカードの二人、た
った二人としか出会っていない。

 何故か。

 視点を「邂逅」から、その背景となる「世界」に移行してみよう。

 「ブレードランナー」をデッカードを中心とした物語として見れば、彼が
垣間見る世界はレイチェルとロイ・バッティ、二人のレプリカントの世界だけ
だからである。他者はその二つの世界にたまたま居合わせたか、時折「侵入」
して来る存在、或いはその世界に到達する為の糸口に過ぎないのだ。

 数多くの他者が関わって来るロイ・バッティの世界、只一人だけのレイチェル
の世界。
 二つの世界が最期迄完全に分断されて展開する事により、各々の世界でデッカ
ードが思い抱く感情の差異が見事に表現され得るのである。

 正しくロイとレイチェルは邂逅を果たさない。二人は別々の世界でデッカード
に関わって来る存在であり、二人の世界は全く接点を持たないのだ。唯一、⑲に
おいてロイの世界の住人であるレオンを射殺するシーンのみが接点に触れそうに
なる瞬間で歯ある。だが、此処では前の章に記したのと同じく、震え乍ら銃を構
えているレイチェルと、摑み合っているデッカードとレオンとは同一画面には決
して現れない。レイチェルは自己の世界への唯一の侵入者を救い、と同時に、デッ
カードがロイの世界へ更に深く足を踏み入れる手助けをしたという訳だ。

(これが凡庸なる映画ならば、この後余韻を持たせる意味で、横たわるレオン、
起き上がるデッカード、呆然と佇むレイチェルとが同一画面に並ぶショットを必ず
や挿入してしまっただろう。)

 ロイとレイチェル、デッカード以外の登場人物は、だから彼ら抜きでは劇中の
何処にも存在し得ない。
 但し此処でも例外はある、①、⑪の場面。ホールデン刑事とレオン、セバスチャ
ンとプリス。確かにこのシーンではデッカードとロイの姿は無い。だが、それにも
説明はつくのだ。

 セバスチャンとプリスの出会いは偶然でもプリスの考えでも無く、明らかにロイ
の意思が介在している。その場に確かにロイはいないが、ロイの意思は存在するの
だ。

 ではもうひとつ、ホールデン刑事とレオンの場合はどうか。レオンがタイレル社
に廃棄物処理技術者として入社したのは確かにロイの指示した策略かもしれない。
また、VK検査を受けて動揺し、発砲してしまう「脆弱なレプリカント」が、その
後最期まで生き残り、ブレードランナーに「処理」される事無く死ぬ「強靭なレプ
リカント」ロイと一致しない事を避けた為の配慮とも考えられる。
 (ホールデンを、一発目はテーブルの下から、二発目は後方から背中へと、相手
の見えない所から撃つレオンが、その後レイチェルに、やはり見えない所、「後ろ」
から頭を撃ち抜かれて死ぬという皮肉な結末を迎える事に成る「因果律」を見出す
事は出来る。)

 或いは、冒頭のこの場面ではデッカードもレイチェルもロイも未だ登場していな
い。このシーンでホールデン刑事が射殺されたからこそデッカードは起用されたの
であり、此処から彼らと彼女の世界が動き始める展開になっている、とも言えるの
では無いか。
 ホールデン刑事がレプリカントを追跡処理する物語は終わりを告げ、新たなるデ
ッカードの物語が始まる、とも。

 だが、筆者にはもっと別の理由があったように思えてならない、ロイ・バッティ
と言うレプリカントの存在意義に関わる重要な理由が。

 
望郷〜アルファヴィル


 最初に。「ブレードランナー」は、隔絶された世界で自閉症状態の人達を描くと
記したが。だが、この法則から完全に解放されている男がいる。それがロイ・バッ
ティだ。

 十三年前(注;この原稿を執筆したのが1995年。それから更に二十二年、映
画公開から続編新作まで実に三十五年の長い長い月日が経ってしまっていた事に
今更ながら愕然とする思いです‥)、初めてこの映画を観た時に著者はロイ・バッ
ティに対して実に複雑極まりない印象を抱いた。冷酷無比な人造人間、一人取り残
され、やがて世界から静かに消えて行く哀れな男ー。だが、どうにも彼の存在が腹
立たしかった思いもまた、最後まで払拭出来なかったのである。

 今回、この文章を記すに至って塾考してみた結果、その奇妙な感情の理由がほん
の少しだけ判ったような気がする。

 筆者は、ロイ・バッティに嫉妬していたのだ。言い換えるならば「ブレードラン
ナー」の世界全体、デッカードや他の者に感情移入する余り、其処から逸脱した
存在であるロイに対し、劣等感を抱いたのである。

 その理由を述べる前に、「ブレードランナー」のキャラクターが存在する立場、
状況について細かく検証してみよう。

(次の記事に続きます)‥

 
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